大学の[近代ドイツ小説]新規レポだが、一日かけて7000文字でいったんドラフト脱稿。文字数は多いけど、内容としてはこんなもんかなと思う。なんといっても近代ドイツ小説の歴史的系譜を俯瞰するわけだから。
この土日に寝かして、月曜日に推敲、提出します。近代ドイツ小説について、ソコソコ詳しくなりました。
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この週末に、横浜の赤レンガ倉庫に用事があって、昨日(1/23)下見に行った帰り道、横浜税関資料展示室「密輸コーナー」なる看板プレートを見つけた。
立ち寄ることも考えたが、他の用事もあってそのまま素通りした。それはそれで終わったのだが、その日帰宅後に先日購入しておいた日記本をトイレで開いたら、なんと初っ端の日付にその密輸コーナーの話が載っているではないか(2023年11月1日)。このコーナー自体はけっこう有名な場所みたいだ。
横浜の税関資料室に行く。密輸された象牙やトラの剥製、偽ブランド品などの展示があって見応えあり。象の足を切り取って作ったテーブルのようなものもあった。作った人の趣味が悪すぎて笑える。入り口で、税関キャラクター「カスタムくん」と記念撮影。
これだから、読書というのは止められない。
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こういう〈偶然〉で言えば、先日本屋でふと立ち読みした、有吉佐和子のエッセイ集がなかなか面白くて、その勢いでいま売れているという『青い壺』(文春文庫)も手にして読了。いつもはそういう〈流行りもの〉には手を出さないんだけど。
わたしの世代(団塊ジュニア)で、有吉佐和子といえば「笑っていいとも!」での「テレフォンショッキング」出演である(けっきょくあれは演出のひとつでプロデューサーからの依頼事項だったという)。
彼女、小説家になりたての頃からテレビにはよく出ていたというのがエッセイにも書き残されている。作家としての活躍の裏では、長く不眠症に苦しみ長編を書き終わるごとに体力を消耗して入退院を繰り返していた(長州人エリートを父方に、紀州の名家を母方にもつ〈お嬢様〉であり、幼い頃より病弱、学校は休みがちで家で蔵書を乱読したとか。森鷗外を読んでいる身としてはこういう偶然も嬉しい)。特に中年期以降の健康状態は心身ともに芳しくなく、テレビにはNHK「私だけが知っている」にレギュラー出演していたことはあるものの、それ以降は執筆活動を優先して極力出演を避けていたという。
そのエッセイ集に「井上靖語録」という一編がある。有吉が先輩作家の井上靖に誘われて銀座の文壇バーへと行ったさい、文学賞をとれずに腐っている有吉に向かって井上は「もう10年がんばりなさい」と声をかけた。
それから何年かたって、また似たような機会があって、先生は悠悠とブランデーグラスを片手にして私を招かれた。
「これからは売れない小説をお書きなさい。それが一番ですよ」
文壇の事情を知らない人たちには何のことだか分からないだろうが、私には会得するところがあった。有り難かった。ちょうど『恍惚の人』を書きおろす準備中であり、その創作について第一の方針がこれで決定した。年寄りが耄碌した話などどんなに詳しく書いても、誰も喜んで買うことなんかないと思った。よし、それならとことん書いて人間の生命の終焉というものを追いつめてやろう。
書上げた原稿は最初出版部の人々が読み、みんな憂鬱な表情になった。出版部長は深刻な顔で「どうしたらいいんですかね」と言った。これでは売れないから困っているのだなと私はおなかの中で嬉しくなった。
そうやって書き上げた純文学書き下ろしシリーズ『恍惚の人』は、ベストセラーとなり、1972年の書籍年間売り上げ1位(第2位は田中角栄『日本列島改造論』)、194万部売れた。井上ひさしによれば、この作品のために有吉は10年近く取材を重ね、この作品の収益で1974年に建てたとされる、版元の新潮社の別館ビルは「恍惚ビル」と呼ばれたとか。
あ、この〈偶然〉の話のオチを書くのを忘れた(今日一日だけで10,000字くらい書いてるのでボーっとしてる)。
それにしても『青い壺』の話はどこへ行ったのか。またいずれ話すときがあるかもしれない。