朝日新聞の名物コラム「天声人語」の、昨日(1/21)付は「トランプ政権ふたたび」と題してトランプ大統領2期目就任について案じられている。〈寸鉄人を刺す〉のがコラムの〈醍醐味〉であり、その〈刺し方〉こそ天声人語子の腕の見せ所ってなところ。
まずは、荀子(じゅんし、荀卿[じゅんけい]、生没年未詳)の言を持ってきた。
中国の古典『荀子』に、こんな話が載っている。楚(そ)という国があり、王はほっそりとした女性を好んだ。王の寵愛(ちょうあい)を受けようと宮女たちは食事をとらず、ついに飢え死にする者が現れた▼「楚王細腰(さいよう)を好み、朝(ちょう)に餓人(がじん)あり」という故事成語の由来である。トランプ政権をとりまく米国の雰囲気で、8年前との大きな違いは、ここにあるように思う。
2期目トランプ大統領の取り巻きは〈御機嫌取り〉だけではないか、と言っている(取り巻きと言うだけで御機嫌取りを含意しているけどね)。
なるほど。
しかし、コラムの締めがどうもピンと来ない。
国を治める者はどうあるべきか。『荀子』は説く。まず礼を体得すべし、礼が守れぬ者は法も守れない。何やら2千年後を見通していたかのような言葉である。
荀子は確かに儒家(じゅか)の一派ではあるが、彼の思想は徳治主義というよりは、法治主義の法家(ほうか)に近い。
荀子はまず人間は生まれつき果ての無い欲望を持っていると考える。そこからあらゆる悪事を為す存在であるという。いわゆる「性悪説」に立つ。欲望が生来備わっているとすれば、そこから生じる悪を予防しなければならない。
予防するためには、人間の道徳心に訴えるのではなく、人間の欲望に訴える方策がベターとする。
そのために荀子は「礼」を使う。「礼」を厳格にして、礼を遵守する者には褒賞を、従わない者には罰を与えるというようにして、「礼」に従順であることが得であるとする教育の必要性を説いた。
ここで言う「礼」は、端的には規範(法律、規則、制度、政令等)全般のことを指している。つまり荀子の「礼」は一種のシステムのようにして人びとに働くとした。「礼」によって人びとの欲望を誘導しコントロールすることで、社会を豊かにできると荀子は考えたのである。「礼」は相手への尊敬などをこの場合は意味していない。はたして天声人語子はそれを理解したうえでの、あのコラムの締めなのか。
またしても書きすぎた。いや、ほんとは荀子については勉強不足で書き足りないんだけど。
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鷗外のドイツ留学は約4年間にわたる。だが、その間ずっとベルリン(言うまでもなく当時のドイツの首都であった)に滞在していたわけではない。
- ベルリン到着後(1884年10月)、ドイツ中部のライプツィヒに赴き、11カ月滞在。
- 1885年(明治18)10月(鷗外23歳)、ドレスデンに移る。5カ月滞在。
- 1886年(明治19)3月(鷗外24歳)、ミュンヘンへ移る。13カ月滞在。
- 1887年(明治20)4月(鷗外25歳)、ベルリンへ移る。14カ月滞在。
- 1888年(明治21)7月、ベルリン出発し、9月に横浜到着(鷗外26歳)。
もう少しだけ、最初のベルリン滞在について書いてからライプツィヒへと移りたいと思う。