昨日は、栃木県矢板にて、打合せとトークイベントに参加してきた。
場所がコワーキングスペースも併設されているところで、打合せとイベントとのあいだに時間がありそうだったので(じっさいにあったのだが)、勉強道具一式も持参したが、打ち合わせ後に誘われてJR矢板駅周辺をウロウロしていたら、あっという間にトークイベントの時間。従ってレポートの進捗はナシ。
日付が22日から23日へ変わる頃に自宅へと戻った。ポストを見ると、関川夏央『私説昭和史3 昭和時代回想』(中公文庫)が届いている。
これで氏の「私説昭和史」シリーズ完結した。もともと出版されていた作品を「昭和史」シリーズに改編したものだが、手元にある元本(もとほん)が古くなっていたので買い直してみた。
(本を読むときのルーティンで)いつものように、巻末のあとがきから読むが、ふと目に留まったのが〈団菊じじい〉。
「団菊じじい」とは遠く明治の名優、九代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎をこの目で見ていると自慢する人、要するに繰り言を言いながら「昔はよかった」といいたいじいさん連を指す言葉だ。いまならNHK「プロジェクトX」の再放送に涙する「昭和じじい」であろうか。
拳拳服膺。
関川には司馬遼太郎についての作品もあり(わたしの知人が「面白くないんだよなあ」と腐していたことをいつも思い出す。彼は筋金入りのシバリスト[司馬遼太郎ファン])、ちょうどNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の再放送も「旅順攻略」のクライマックスにも差し掛かっているところでもあって、これまでどうにも読み終えられなかった『坂の上の雲』(文春文庫)を読み通そうかと考えている。
www.nhk.jp
*
「独逸日記」の続き。
(1884年)10月20日。
この日も橋本から指示されたように、大山陸軍卿を送って「Anhalter Bahnhof」(アンハルター駅)へと出向く。卿との別れ際に、「風土に侵されざる用心せよ」と言われている。土地の病気(も含んだ環境のことか)には気をつけろとアドバイスを受けている。
10月22日。
午後2時半に汽車でベルリンを出立し、ライプツィヒへ夕方の5時35分に到着。渡独のときに同船していた萩原三圭が迎えていた。彼は医学博士であり小児科医の権威であった。
ここからはライプツィヒでの滞在日記になるが、この後は「独逸日記」から少し河岸を変えてみようと思う。