鷗外全集も読む日記

ちくま文庫版 「森鷗外全集」も読んでいく日々。

「玉篋両浦嶼」(pp. 277-315)

昨夜は、大学の学友さんたち(九州地区)との読書会。シェイクスピアロミオとジュリエット』を、声に出して読んだ。

範囲は前口上~第二幕第五場。ロミオとジュリエットがキャピュレット家のパーティで出会い、そして例の2階のバルコニーでお互いの〈胸の内〉を晒すというくだりまでである。
ジュリエットはキャピュレット家のひとり娘、かたやロミオはモンタギュー家のひとり息子。ご存じの通り、キャピュレット家とモンタギュー家は、イタリアのヴェローナの名家であり、仇敵同士でもある。だから悲劇になるのではあるが、じつはあまり知られていないかもしれないが、この『ロミオとジュリエット』は沙翁の「4大悲劇」にも「4大喜劇」にもリストアップされていない。この作品は「悲喜劇」とされているからだ。
なぜなら・・・という話は長くなるのでここでは割愛。

閑話休題
参加者のみなさんは最終的にはノリノリで、はじめは恥ずかしがっていた方たちも場面が進むにつれて次第に登場人物たちに乗りうつっていく。あるいはその逆かも。あっという間に2時間ほどが経ってしまった。

ここでのミソは、声に出して読む、ということだ。黙読ではない。声に出すことで聞く側だけでなくしゃべる自分もテキストの理解が進む。また機会があればと思う(準備はそれなりに大変なんだよね)。

ちくま文庫版第5巻の「寒山拾得」の後には、戯曲が3本続く。この「玉篋両浦嶼」、「日蓮聖人辻説法」「仮面」。
わたしにとっては小説や史伝以上に疎い分野なので(これでも若いときには演劇学専攻ではあったんだけど)、throughしていこうかと思ったが(第5巻の解説はさらりと素通りしているぞ)、偶然とはいえ昨夜の戯曲読書会のこともあるので、少しだけ付き合うことにしたい。それにしても、鷗外は多才である。

「玉篋両浦嶼」は、「たまくしげ ふたり うらしま」と読む。明治35年(1902)12月発表。
1902年には、〈八甲田山死の彷徨〉と呼ばれる雪中行軍事件、笹子トンネルも開通、江ノ電開通、日英同盟が調印。時代は日清戦争明治27年[1894])と日露戦争明治37年[1904])との戦間期で、時の総理大臣は桂太郎(第1次)である。

浦島という文字があることからご推察の通り、これは「浦島太郎伝説」がモチーフになっている。
しかし従来の昔話とは筋書きがだいぶ違う。

まずは、浦島太郎が竜宮城へ住み着いたきっかけ。この戯曲では太郎が亀を助けたことにはなっていない。思いがけない大漁に時の経つのも忘れて、そのうち嵐に遭い、海底へと引きずり込まれてしまった。

もう一つは、海から帰還した後、太郎はもうひとりの太郎に出会う。「もうひとりの太郎」とは、太郎の末裔なのである。ゆえに「両浦嶼」なのですね。
ここでは便宜上、竜宮城にいた浦島太郎は「元の太郎」とし、「もうひとりの太郎」を「後ノ太郎」とする(脚本にも「後ノ太郎」とある)。

後ノ太郎は、海を越えて単身他国へ進出していこうという勇壮な計画を立てていた。元の太郎はそんな後ノ太郎の心意気に感銘を受けて、持ち帰った宝箱を与え、海外進出を鼓舞する。ちなみに、元の太郎は海から上がってきたときに後ノ太郎と揉みあい、宝箱を落としてしまい、フタが開いて白髪老人へとなってしまっている。

太郎 おう。いさましや。わたつみの
   かみのみやこを わがいでしも
   おなじこころよ。 さりながら
   おもふは先祖。
後ノ太郎 行ふは子孫にこそあれ。

太郎 事業をわかき わがすゑに
   つたえおこなふ ことをうる、
   これもひとつの 不老不死

元の太郎としては、かつての日本人がなし得なかった海外進出(それは帝国主義と現代では言われる。ここでは「事業」という台詞で表現)を遂行せんとする子孫こそ〈不老不死〉の具現化なのだということだろう。
帝国主義真っ只中の気分があわられているようではある。

これまで鷗外の戯曲は〈余技〉と見做されてあまり評価されてこなかったみたいだが、さいきんは再評価が進んでいるらしい。明治30年代の、日本におけるオペラ受容史として研究もある。
この「玉篋両浦嶼」の後には、「玉篋両浦嶼自註」として鷗外本人の解説が載っている。この戯曲への思いなどを綴っている。

それにしても、素人にはまあ読みにくい、というか、とっつきにくい作品ではあるのでこのあたりでまずはご容赦。