先週から立て続けのイベントに区切りがついて(正確にはまだついていないだけど)、ひとり茫然としている。
娘のいちご氏との大げんかはいったんわたしが矛を収めて(ほんとに収まったわけではない)、彼女をいつも通りに学校へと見送った。「(高校受験を控える)これからが大事」とさんざん言っているのが気に入らないのかプレッシャなのか。
久しぶりに、東御市のヴィラデストに行ってみたくなった。もう水彩画教室は開かれていないのだろうか。
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喜助の話は大きく二つからなっている。ひとつは、自分がはじめて〈財産〉というものを持てた、という話。
それから、〈弟殺し〉の真実、といった話だ。
〈財産〉の話というのは、こうだ。
喜助は遠島の刑に処せられるのだが、それにあたっては幕府から鳥目(ちょうもく。穴のあいた銭)200文をもらった。これを元手に流されるさきで生きていけという意味らしいが、生まれてからこれまで仕事でもらったカネはほとんど他人へと流れていってしまい、手元にまとまったカネがなかったという喜助にとっては、この鳥目200文は〈ひと財産〉ということだ。死罪を免れた身に加えて、こうしてカネまで持たせてくれお上(かみ)には感謝しかないという。
ちなみに、江戸後期においては一文はいくらだったんだろう。
国会図書館の「レファレンス協同データベース」に同様の質問が載っていたので転載する。
諸説あるようなので解りやすく「一文=25円」とすると、喜助がもらったのはざっと5000円、津田梅子1枚くらいということになる。
喜助の話を聞きながら、同心・庄兵衛はわが身を振り返る。
もうひとつの話は〈弟殺し〉だが、安楽死の話。
庄兵衛の問いに答えて喜助は一気に語るが、そのくだりは改行がない。文庫版でいえば3ページ近くにわたって改行がない。それが読み手に切迫さを伝えてくる。喜助は一気に庄兵衛へ語ったのだ。
庄兵衛はその場の樣子を目のあたり見るような思いをして聞いていたが、これが果して弟殺しというものだろうか、人殺しというものだろうかという疑いが、話を半分聞いた時から起こってきて、聞いてしまっても、その疑いを解くことができなかった。弟は剃刀を拔いてくれたら死なれるだろうから、抜いてくれと云った。それを抜いてやって死なせたのだ、殺したのだとは言われる。しかしそのままにしておいても、どうせ死ななくてはならぬ弟であったらしい。それが早く死にたいと言ったのは、苦しさに耐えられなかったからである。喜助はその苦を見ているに忍びなかった。苦から救ってやろうと思って命を絶った。それが罪であろうか。殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救うためであったと思うと、そこに疑いが生じて、どうしても解けぬのである。
庄兵衞の心の中には、いろいろに考えてみた末に、自分より上のものの判断に任す外ないという念、オオトリテエ*1に従う外ないと云う念が生じた。庄兵衞はお奉行様の判断を、そのまま自分の判断にしようと思ったのである。そうは思っても、庄兵衞はまだどこやらに腑に落ちぬものが残っているので、なんだかお奉行様に聞いて見たくてならなかった。
次第に更けて行く朧夜に、沈默の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべって行った。
本編に続く「高瀬舟縁起」は創作ノート。安楽死をテーマにした経緯がさらりと書かれている。
そして、「高瀬舟」自体には批判があったようだ(こちらは「縁起」自体には触れられてはいない)。鷗外個人が自分の意思で考えるのではなく、authority(=権威)を重視するというのは、鷗外という個人がないじゃないか、やっぱり長州(閥)の人間の考えることだと。
*1:authority、つまり権威、権力者