正月3日目。曇天で寒い。年末年始休前の生活リズムに戻すため、いつもの起床時間に近い時間にベッドを離れる。
テレビをつけて箱根駅伝を観ながら、たまっていたメールを片づけたりする。勉強にはまだ手をつけていない。科目試験まであと1週間ほどしかないのにね。
今年(2025年)の箱根駅伝は、けっきょく青山学院大学が往路復路の総合優勝。横綱相撲といっていいだろう。
連覇、お目出度うございます。
この10年間、何度か2位以下につけたこともあったが、決して連敗(という言い方は相応しくないか)はしていない。負けたら次で取り返す、ということをやり遂げてきた。そのしたたかさがこの大学チームの強さを作っている要素のひとつなんだろうと思う。
今日で正月三が日が終わり、明日からは通常運転への慣らしをはじめないといけない。無職のわたしは別にいいんだけど、子どもたちの手前もあるし、自分自身のためでもある。
夕方に、HDDに録り溜めた映画「生きる LIVING」(オリヴァー・ハーマナス監督、カズオ・イシグロ脚本)を観る。1952年の黒澤明監督による日本映画『生きる』のリメイク作品だが、こちらも悪くない。こちらもと泰然と言っているが、オリジナルを観ていないので、観てからまた一言付け足そう。
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「大塩平八郎」を最後まで読み切る。事件が起きた天保八年(1837)2月19日の1日を描いたという。
この小説の「附録」がある。いわば創作ノートのたぐいで、本編を読んでこの「附録」を眺めてみるとなかなか興味深い。鷗外はこの物語のために当日起きたことクロニクルに並べてみたり、あるいは大塩平八郎の過去帳などのメモを残していた。
また、この乱の元凶は飢饉だと鷗外ははっきりと断定して、ではどのくらい飢饉が酷かったのかを天候の具合も含めて数字で書き表している。
もし平八郎が、人に貴賎貧富の別のあるのは自然の結果だから、成行(なりゆき)のままに放任するのが好いと、個人主義的に考えたら、暴動は起きなかっただろう。
もし平八郎が、国家なり、自治団体なりにたよって、当時の秩序を維持していながら、救済の方法を講ずることが出来たら、彼は一種の社会政策を立てただろう。幕府のために謀ることは、平八郎風情には不可能でも、まだ徳川氏の手に帰せぬ前から、自治団体として幾分の発展を遂げていた大阪に、平八郎の手腕を揮(ふる)わせる余地があったら、暴動は起こらなかっただろう。
この二つの道が塞がっていたので、平八郎は当時の秩序を破壊して望を達せようとした。平八郎の思想は未だ覚醒せざる社会主義である。
〈覚醒せざる社会主義〉とはなにか。
・・・(中略)・・・彼等[一揆を起こした貧民:引用者註]は食うべき米を得ることが出来ない。そして富家と米商とがその資本を運転して、買占めその他の策を施し、貧民の膏血(こうけつ)を涸らして自ら肥えるのを見ている。彼等はこれに書するにどう云う方法を以てして好いか知らない。彼等はまだ覚醒していない。ただ盲目な暴力を以て富家と米商とに反抗するのである。
平八郎は極言すれば米屋こわしの雄である。天明*1においても、天保においても、米屋こわしは大阪から始まった。平八郎が大阪の人であるのは、決して偶然ではない。
平八郎は哲学者である。しかしその良知の哲学*2からは、頼もしい社会政策も生まれず、恐ろしい社会主義も出なかったのである。
鷗外の、大塩平八郎に対する感情は〈大塩嫌い〉である。嫌いというよりは、人として見下している感じがする。大塩平八郎の乱そのものについては、さいきん中公新書から藪田貴『大塩平八郎の乱 幕府を震撼させた武装蜂起の真相』が出ているので、ちょっと参考にしてみたい。